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小説 モンキー・テンプルの小僧

 濃い霧が盆地を覆っている。それでも北北西への道はこの一本だけだった。迷っているわけではない、という自信はある。反対側から山人の一行が、霧の中から突然に現れた。背負子に山と積んだ薪を担いですれ違ったその列の先頭には、松ヤニらしい匂いを放つ松明の火がかかげられていた。寒い湿気にかじかみ気味だった俺の身体に一瞬、熱気が走った。
 
  ユラユラと揺れる細い吊り橋を渡ると街並は消えた。わずかに上向きとなった道の両側には、適度な距離を置いて石の仏塔が数本ずつ寄り添って立ち、参詣道であることを示している。道の脇の畑には農作物が黒く盛り上がっている。天秤棒をしならせた百姓が次々と野菜を市場に運ぶのにも出くわした。

 俺はひとりでカトマンズ郊外のチベット仏教のラマ教の聖山をめざしている。冷たい12月の霧は薄雨のような水滴と仮し、髪から衣服まで濡れそばたせてはいても、内なる血流は暖かくなる。

 (ソエンブナート)またの名をモンキー・テンプル。イスタンブールでゴロゴロしていた時に、東から戻ってくる旅人から繰り返し聞かされてきた聖山に、とうとうたどり着こうとしているのだった。
 上空の霧は、わずかに明るい。朝日が東の山並みを超えたらしい。それも、まだ盆地の底には届いていない。標高800メートルの空気は薄い。その上重い霧の海を押し分けて進まなければならない。3キロという道のりも、果てしなく感じられた。

 突き当たりは、かつてカトマンズ盆地が湖であった頃の小島が、水の引いた後小山として残ったという独立峰の楚だった。その山腹には、うっそうと茂る樹々。各々が勝手な意志を持って曲がったとしか思えない癖のある枝ぶり。それが霧にぼけている。正面には幅広の石段が直登している。ソエンブナートに違いない。まだ白く雲隠れしている頂上あたりより、濃い祈りの気配が伝わってくる。

 胎盤に戻ったような安心感に包まれてきた。命を高揚させる波動が、この山から湧いている。地下の鉱脈、マントルの環流する力、土のうねり、風水の流れ、太陽と月、更には銀河系から宇宙にまで連なるエネルギーが絶妙なバランスで感応しあう場所。それが聖地となるのかも知れない。

 (いや、それだけではないだろう。聖地と決めたのは人間だ。とすれば必ず社会的な原因があるに違いない)
 旅をし始めてから、世間に通用する物の見方を疑う癖がついている。階段の前にたたずんだまま、これまで訪れた聖地といわれる場所の多くが、都市にあったことを思い出した。それも、農耕牧畜と通商の一、二、三次産業の富に恵まれた都市だった。ベナレスも、回教のシーア派のマシャドも。

 勿論純粋な自然条件だけの聖地もあることは聞いている。エジプトのシナイ半島にあるキリスト教聖山、フランスのルルドの泉、ヒマラヤ山脈奥地にある数々のヒンドゥー教聖地、チベットのカイラシュ山、北米のビッグマウンテン等だ。俺の旅の実力は、まだ大自然の奥に踏み分けるまで至っていない。

 旅に出てからは(現場に行って見なければ、何も断言は出来ない)という見方も身についている。それは俺にとって、余りにも多い(判らない、という世界)に属している。たぶん、そのように人里離れた聖地は、精神を鍛えるための修行の場として存在してきたのだろう。

 カトマンズは、インド・チベット間交易の一大中継点として富を蓄え、山奥としては、桁外れの都市となった。二千を越える寺、祠、五重の塔の多くは、交易に成功した商人が寄進したものだという。

 大昔に湖だったこの盆地を、中国人の聖者が山の一角を切り開き水を抜いて農地とした。その時以来の、農民の富も蓄積されてきただろう。ここに茂る野菜や米の勢いの良さと味の濃さは、かつて湖に満ちていた水藻が、土に滋養を与えているからだという。唐の都長安で建築や工芸品制作に従事したという高度な技量を誇る盆地の住民ネワール人職人階級の富もあっただろう。富は人口を膨張させ密集させて階級を生む。その階級差を越えて一体感を感じる場が必然的に作られる。

 高揚した精神性を共有する場所としての聖地。それは社会的にも必要な空間であった。この独立峰の頂上にあるソエンブナートの背景には、世界最高峰のヒマラヤ山脈、その先にはチベット高原が聳えている。眼下には、インド・チベット間では最大の平地であるカトマンズ盆地が広がっている。高地と低地、双方の流れが出逢う目安とし易いソエンブナートは、聖地としての条件が整っている。

 背後の霧が揺れた。赤茶けた色が音もなく通り過ぎた。その色が霧にふたたび溶け去る寸前に、(若いのは分析するのが好きじゃわい)とでもいうように、フンワリとひるがえった。羽織った衣より他に存在感のないチベット人の老僧だ。後ろ手にぶら下げた百八個の玉の連なる数珠の振れ方に、年季が入っている。山頂に住む僧侶が山を降りて一周する時刻なのだろうか、また同じ色が通った。

 そして、参拝する信者は山頂をめざす。御詠歌を唄いながら、ネワル人の信者達が次々と階段を登っていく。俺もつられて石段を踏む。靴底を通してさえ伝わってくる滑らかな磁場は確かに聖地のものだ。数段ごとに石の偶像が立ち並んでいる。長い期間平原ばかりを歩いてきた俺の足には、登るための筋肉が退化し切っている。だから、足を上に運ぶたびに、その偶像のひとつひとつに大きく会釈をする格好となる。土地人のスピードは桁違いだ。家族や寺子らしいグループが、つむじ風みたいな一団となり、次々と俺を追い越していく。裸足の者が多いから、足音もしない。御詠歌と共に、女達の手にかかげられた大きな真鍮の平皿と、そこに配置されたお供え物の食料、線香、花びらに、彼女達の丸っこい肉体を覆う白いショール、その下の黒いサリー。そんな雑多な動きや色の残像が俺を上へと導いてくれた。

 踊り場に、人間の5倍ほどのブッダの石像が3体待っていた。近づくと、肌はまっ白、法衣は黄金色、唇には紅のルージュが塗りたくられている。そこで息が苦しくなって一休みした。あずまや風、瓦屋根付きの広い縁台もあつらえてあるが、人影はない。山頂で、朝一番の陽の光を受けながら祭司をするのが、このあたりのしきたりなのだろう。もう階段を登る信者の姿も途絶えている。

 (とっくの昔に、予定を決めて目的地にたどり着く習慣は捨てちまっているじゃないか。どこに居ても、どこに向かっていようとも、それはプロセスに過ぎないという訳だ。今この休み場にいる。休むというプロセスにいる。薄い空気、慣れない急登、山頂はまだ遠いし、だ)

 20畳はある踊り場の石畳に上に寝転ぶ。上空の霧が、わずかに輝き始めている。
(俺は宙ぶらりん。俺は行方不明。俺は人生まったく無駄にしている。俺には目的地も帰還する場所もない。それで充分だ)と半ばふて腐ってあたりの老木や、聖なる文字を浮き彫りとした岩を、横になったまま見渡していた。

 湿り気帯びた木の枝も葉も、霧さえにがわずかに震えている。気のせいか背中の石畳までもがブルブル震えた。急登に荒れた呼吸はもう収まっているから、その震えは俺の肉体のものではない。

(聖地の波動にしちゃあ、やけにリアルすぎるじゃないか)

 その微妙な振動は、あらゆる物体を伝わる超低音波に近い音の連なりだった。
「ブォォォォーォー」と切れ目なく震える低音。それも一筋の音ではなしに、幾本もの超低音が重なっている。

(まるで、恐竜の群が吠えているみたいだ)

 しかしその音は他の生物によるものでも、物質から発生するものではない。「ブォォォーォー」の音には、人間の意志がこもっている。

 そうだ、チベットのアルペン・ホルン。5メートルは越すラッパの音だ。オーストラリアの先住民アボリジニの吹くディジュリドゥーも同じ音の切れない奏法をする。息を吸う瞬間に、丸くふくれあがった頬の貯め込んだ空気を、頬の筋肉を絞り込み吹口に送りこむから唇の震え、つまりブォーの音は止まらない。その長い銅製のラッパを、数人の若さあふれるラマ(チベット密教の僧)が吹き鳴らし続けているのに違いない、と思った瞬間、俺に元気が甦った。

 「ブォォォーォーブォォーォーブォブォー」。
その低音のままに大きく背を延ばすと山頂はもう陽が当たっているように明るい。

 (もうじき、ここにも光は届く。それからゆっくり登ろうか)今朝も、これまでの旅とはまったく次元の違う、夢のような現実ばかりを見せつけられて、混乱したままだ。
 目覚める直前に見た夢までもが、生々しい色と感触を俺の心に塗りたくり、未だに俺を酔わせている。寝転んだまま白く晴れ上がりつつある空を見ていると、その、やけに甘美なウェット・ドリームが、甦ってきた。

 その夢の中で訪れた家は、(ここまで来てしまったのか)と驚くほど豪華だった。案内してくれたのは可憐な少女。その掌に導かれるままに俺は漂って行った。部屋の芳香が濃厚となってくる。それまでの大規模な王宮風の造りの大部屋から、居間のような小部屋へと。木彫をほどこされた壁と柱が身近に迫る。荒削りされたものなどは、ひとつもない。すべては、繊細な肌のひだのように、俺と少女を優しく包み、お次のより小さく、より麗しく彩られた部屋へと送り込んでいく。

 行き着いたのは、最も奥まった所にある部屋の入口だった。這いつくばらなければ入れないほど小さな部屋の中からは、あくまでも柔らかく様々な色彩を帯びた光が漏れている。その光が、陶然とした二人の肉体の隅々にまで浸み渡っていく。俺達は、互いの肩をぴったり引き寄せ、連れ立ってその部屋に入ろうとした。しかし入口の幅は余りにも狭く、低すぎた。少女は俺との狭界を無くそうとするかのように身もだえをした。俺の懐に滑り込む繊細極まる長い髪、切ない息づかい。可憐な乳房、腰。俺達は必死で互いを抱き締めながら、そのあらゆる色を帯びた光を放射している小部屋に入りつつあった。

 まったくのこと、夢の中でさえ目の前の目標に到達できなかったとは。いつものことながら、宿命さえ感じてしまう。あの頂点に達しようとした寸前に夢は、荒々しい咳に吹き飛んだ。目を覚ますと、昨夜なだれこんだままゴロ寝した安宿の床にいた。立てつけの悪い2階の大部屋に霧が忍び込んでいる。頭を廻すと、トラックの荷台以来行動を共とした、むさ苦しい男達が、汚れきった寝袋にくるまったままで寝息を立てている。

 と、俺の目の前に、岩石みたいなゲンコツが突き出された。そこに、白いタイマツみたいな紙巻タバコ、ジョイントが直立して煙を吐いていた。勿論、タバコ混じりのハシッシが強烈に匂っている。

(グッドモーニング。起こして済まなかった。どうだ一服)とでも言おうとしたのだろうが、代わりに再び大きな咳をした男は隣に寝転んだままのハンツだった。針金みたいな髭がゴシゴシと宙をなぞっている。これほど色気のない男には会ったことがない、と全員合意した元炭鉱夫のドイツ人。でもその無骨さには、男だけが理解する魅力がある。

 そこで俺は、ブラック・アンド・ホワイトの現実世界に戻り、ジョイントを深く一服したのだった。

 その煙の匂いに他の男達も寝袋から這い出てきた。煙が霧と交わって、室内を昨夜のミルク・ライスそっくりの色としている。吸い気と食い気、あとはヤケのヤンパチの好気心。それだけが取り柄の男達は、目が覚めると各々がハシッシをほぐし始めた。

「ソエンブナート」
ふと俺の唇に、この聖山の名が浮かんだ。
「フム。モンキー・テンプルか」
 ミスター・ビートニクが、むき剥き出しの煉瓦の床に、チルムの黒い煤をこすりつけて地図を書いた。

 それを頭にぶちこみ、ひとり部屋を出たのだった。まだ暗い外の階段には、ミシェールがボロの毛布にくるまり座っていた。二十歳となったばかりのスイス人だ。彼は幼い頃から鎮静剤を常用していた。ある日母親が入院して内臓のかなりを手術で取った。原因は長期にわたる鎮静剤服用によるものだった。そのカルマを断ち切るために旅に出た。昨夜も眠れなかったのだろう。でもいつもの朝とは違っている。あの永遠に沈み込んだままの鎮静剤の湖底から、今日は浮き上がるかもしれないという、淡い期待が頬をわずかに色づかせている。それは夢の後に見た初めての色だった。

 この自然のままの聖山に寝転ぶと(カトマンズとはなんという街だろう)との思いが一斉にフラッシュ・バックしてくる。まだ暗い内からハプニングが入り乱れている。足元を黒く重い獣が走る。その足跡みたいな小さな黒点が、数珠つなぎとなって追いかける。猪といっても良い風体の黒豚親子だ。ただ牙が無い。そしてもれなく持ち主のいる家畜である。例の野犬がしゃがみこみ、その鼻先に剥き出された子供の尻を見つめている。ウコンに染まって真黄色に光る液状の便を湿った地面に子供は残した。犬はそれをペチャペチャと舐めている。

 ミュージック・テンプルから降りる道の両側は、一目で貧民窟と判る、腐って倒れそうな家並みが続いた。坂を降り切った所にある広場だけには、見事な煉瓦が敷きつめられていて、中心には大量のわらを燃やしているらしい明るい炎が立ちあがっていた。ねぼけ眼には眩しいほどだ。

 近づくとその炎の中央には、首を落とされたばかりのバッファローが仰向けに四本脚を直立させている。その隣には既に焼かれた一体を、鉈を振るって解体している小柄なネワル人が数人、虫みたいにうごめいている。近づくと、地獄の鬼みたいに見える。血まみれとなり、更に赤味を増した煉瓦の上に、バッファローの黒い頭が数個と、剥がれたばかりの皮が無造作に転がっている。

 「カトマンズでは(クマリ)という初潮を見る前の少女から選ばれた生き神を特別な家に祭る。その昔、ここの王様が幼い少女を犯したら彼女は死んでしまった。その行為を悔いて、幼女を神とすることとしたという。生き神となる儀式では、少女を血のしたたるバッファローの皮で覆うらしいぞ」

 昨夜、宿に転がり込むと、ハシッシをまた吸った。その酔いと眠気とが半ば混じりあったトロトロの状態で、ミスター・ビートニクが物語った。(クマリ)処女の生き神のいきさつを思い出した。

 「そうだよね。女はメンスが始まる前か、メンスが止まってからの方が格段に迫力あるように見えるよな。女特有の勘というか、神秘というか、知恵というのか。孕んで、子供を守る必要がないからかな?」

 「ま、それも女によりけりだろうがな。幼女は別として、欲に凝り固まった老女には、うんざりするほど出逢ったぜ」
 
 「そういう迫力は御免だな。つまりカルマ・ヨガ次第ということか」
 
 そう俺はムニャムニャ答えたのか、あるいはただの例のごとく頭の中だけで分析して解説していたのだったが、目の前に血だらけのバッファローの皮が転がっているのを他人事ではない。少し前まで夢の中で連れ添っていた、あのつぶらな瞳と花びらのような唇を持つ少女が、その表側は黒く焦げ、裏には血をしたたらせたバッファローの皮を、優雅に持ち上げてその裏から現れたかのようにも思えるのだった。

 でも今は聖地ソエンブナートにいる。聖なるラッパの鳴らす超低音は切れ目なく続いている。(ブォォー)の波動が大地のすべてを貫き振動させ、その後は、シンバル、太鼓、チャルメラが交互に鳴り響いた。と同時に、海の波が寄せては引くみたいに大勢の男達の唱える声明らしい、ザワザワと重複した声が行き渡る。

 信仰へと導く演出。それが聖地を特色づけている。特に、どんでん返しがたて続けに起こるカトマンズの街のすぐ近くに、し切れる聖地を作ったとは、まったく見事な演出だ。

 イスタンブールの安宿の屋上で(ままよ)とばかりにゴロゴロとして過ごした時以来、こんなにのんびりと背をのばして寝転んだことはなかった。あそこは、現代からはみ出た者達の聖地だったが、ここは、昔からある正真正銘の聖地だ。世界の反対側では、大量の核ミサイルがサイロに待機し、高速道路には機関銃弾みたいな車が突っ走り、工場からはモクモク、ドロドロ、商店街はギンギンキラキラの満開だというのに、俺はここで、聖なる波動に任せ切って寝転んでいる。

 そのままトロトロと眠り込むところだった。
(待てよ、誰かが隙を狙っている)と目が覚めた。たった2年間の旅でも、この半年は無一文から始まって、ヒッチ・ハイクと運び屋でやりくりをしてきた。当然のように野宿をした。目を閉じてはいても気配を感じ取れる位に俺の警報装置は機能している。確かに誰かが俺を見張っている。野性的だが獣のものではないビシッと俺に焦点を合わせた人間の視線を、俺は痛いほど感じとっていた。

 脇に放り出したままのアーミー・バッグを引き寄せた。大した物が詰まっている訳ではないが唯一の財産だ。これで食って行けるかもしれないというトランジスタ・ラジオの部品。それに、ハーフサイズ・カメラ。撮影済と未使用のフィルム。映像に記録しようという執着が、まだこびり着いている。これが業とでも言うのだろうか。文なしとんっても俺の存在を支えているのだ。

 霧は急速に晴れあがりつつあった。悟り切って立つ古代の老いた聖者のように、腰や腕を曲げた聖地の樹木が、急勾配の山腹のあちこちに存在を露わとした。固い意志を秘めているのは、青、緑、白、赤、黄色の聖なるチベット文字を浮き彫りとされた大岩の群である。だが、霧の中のその一部と化したかのように判別できない。

(移動して角度を変えれば尻尾を出すかも知れない)と、得体の知れない相手に気を配りながら、ゆっくりと立った。とたんにクラッと来た。目の前の空気が弾けたみたいだった。何か新しいアイディアに閃いた時の、晴ればれするみたいな軽い衝撃だ。これも奴からの波動に違いない。(悪意を持つ奴ではなさそうだ。でも俺を試そうとしている)

 少し気を楽にして歩き始めた。踊り場のブッダの石像の前を横切り階段に向かおうとした。その方向に、老木の枝が張り出している。くねった部分に大きな瘤がある。それが更に盛り上がったかのように見えた。なんとそれは肉みたいに赤かった。

 「ファッ」その赤い瘤が、突如音をたてて吹き上がり、再び枝に収まった。赤いのは猿の顔、そして尻だった。目を剥き歯を剥き身を低くして俺に飛びかかろうとしている、タフなボス猿だ。

(クソッ)アーミー・バックを持ち上げて盾とした。野犬とはかなり修羅場を踏んできた。猿とはどう駆け引きしたらいいのだろう。

 静かに離れてみよう。奴の縄張りを犯す気のないことを知らせるのだ。犬の場合なら、それで徐々に収まっていく。

 身構えたままの猿を、アーミー・バックの裏から見据えたまま後ずさりをした時だ。「ファッ」今度は背後から脅された。俺の背の3倍はあるブッダの石像の肩の上から、別のタフな雄猿が飛びかかろうとしてる。
「ウァッ」アーミー・バックを振り回した。それが石像に当たる。「グシャッ」と財産の一部が潰れる。勿論猿には当たりはしない。足元から攻めてくる猿も現れた。前面のボス猿も枝から飛び降り回り込んで来た。気づくと、あたりの枝にも石像にも、地面にも、猿、猿、猿が歯を剥いている。素早く隙のない上にずる賢いテロリスト猿の一斉攻撃だ。こっちの打つ手はないほど完璧名包囲網。

「ペッ!」
意外だった。自分の口から激しい声が炸裂した。ボス猿がキョトンとする。同時に他の猿の動きが鈍くなる。そして、今度こそは、はっきりと奴の声を聞いたのだ。
「ハッ!」あたりの動きが一瞬止まった。

 あれからは、まるでスローモーション・ムーヴィーの主人公となったみたいだった。猿の群は戦闘を止め、何事もなかったみたいにゆるやかに、山腹に戻っていく。俺も、中身の抜けかかった風船みたいに階段を登った。「カラカラ」と奴が笑っているのを聞きながら。

(あいつは一体何者なんだ)
明らかに、奴は猿と一体だった。姿も見せずに背後から統率していた。あの最後の一瞬の弾け声に、猿の攻撃は止んだのだ。猿が出現する前の波動も同じ人間のものだ。あの後の笑い声も。奴は人間だ。判っているのは若い男らしいということだけだった。

 最後の登りは、鉄管の手すりにすがらなければ、頭から転がり落ちそうな急勾配の意志団だった。呼吸困難のまま、両手でそれを手繰って一段一段登った。腕の筋肉も退化している。この2年間、リュックを担いで平地と街を歩いてきただけだった。情けないが、数段ごとに休まなければならない。下がれば猿が待ち構えているかも知れない。
「このソエンブナートをモンキー・テンプルと呼ぶ訳はだなぁ」。宿を出る前、ミスター・ビートニクが(気をつけろよ)とでも言うように説明したのを、(その話は知ってるよ)とばかりに聞き流していた。旅人の噂は本当だった。反対方向から旅してくる者達は、一様にこの聖山の高揚した波動と神秘に満ちた祭礼を讃えた後に、ここに巣食う猿の群に嚇かされたり食物を引ったくられたりの、忌々しい体験を語ったのだった。そこで旅人はいつの間にかこの山を(モンキー・テンプル)と呼ぶようになったのだ。

 「でもな、チベット人は、先祖が雄の猿と雌の鬼が性交して生まれてきたんだって信じているから、猿がどんな悪さをしようとも、敬い続けるのさ」。俺が一刻も早く聖山に向かって飛び出そうとしていた時に、そう言って俺の目を覗き込んだミスター・ビートニクは、まるで、俺自身が、たった今、雄の猿と雌の鬼から生まれてきたばかりのようにニヤリとしたのだった。彼も奴に翻弄されたことがあるのだろう。

 頂上には日射しのまぶしい広場が開けていた。ジャララーン、ジャンジャラーンのシンバル、ピャラピャラピャララのチャルメラに、あたりの空気を飲み込みそうな重複した声明の潮騒、ツンとするような針葉樹の線香、母乳を思い出させるヤクのバター・ランプの匂い、切々とした唄、オルガン、タブラ、チンチンのチャイムにチャンチチンの小型シンバル。その音と匂いを常に撹拌させている、(オムマニペメフン)の念仏は、仏塔を右回りに歩くチベット人巡礼のものだ。汗、垢、油、煤、楽しさ、苦しさ、笑いと涙のマントラ唱えて歩くチベット人達の強靱な姿。

 広場の中心には、業を持つ108人の人間が手を繋いで一周できるほどの、巨大な半球が居座っている。ブッダの骨の収められた卒塔婆、ストゥパである。まっ白に石膏を塗りたくられた半球の頂点には、金箔を貼られた時計台型の塔が建っている。その四方を向く側面には、時針と分針の代わりに、流麗な曲線を描いたまゆ毛と眼。鼻の部分には、それに似たチベット文字が描かれている。

 四面の顔は、明らかに東西南北の方角を睨みつけている。その頂点の三角屋根の先端から地表に向けて張られた数本のロープには、数珠繋ぎの小さな五色の旗が風にはためいている。青は宇宙、緑は風、白は水、赤は火、黄色は大地を象徴すると言う。各々の旗には経文がプリントされている。

 廻る。すべてが右廻りにグルグル廻っている。チベット人が左手に持つ車輪にはズンドウがついている。その遠心力の勢いが車輪を廻す。マニと呼ばれる祈りの小道具である。その大型なのがストゥパの基部のまわりにも据えつけられている。右廻りに歩くチベット人の右手が弾みをつけてひとつひとつを廻す。マニはガラガラ音をたてて廻る。

 チベット人の男の、黒か紅色に染められたぶ厚い毛織のコートの片袖は、腕を抜かれて腰にたれている。派手な赤と緑にパッチワークされたブーツを履く者もいるが、大方は、中国製らしい白い綿の運動靴だ。ラッサ暴動より7年間の避難民生活。その苦難の日々が、湿り気のないモンゴル系の顔に深く刻まれている。朝日を受けて白く浮き上がっていく巨大なストゥパ。そこを廻る鋭い皺の顔。
 太陽系を廻る惑星のひとつのなったように、俺も円を描く。ストゥパの祈りの軌道に乗る。歩いて行く俺の背から胸の先へと、後ろのチベット人が唱えるマントラが響く。(オムマニペメフン)永遠に歩き続けることも不可能ではない、とばかりに揺れるチベット人の腰には、束ねられた長髪、女の腰には、虹を横縞とした前掛け。(オムマニペメフン)の念仏は、(蓮の花にきらめく一粒の水滴)を意味するという。

 世界がまあるくまるく、因果関係で繋がっているように見えた。広場の一角には金色の屋根を陽光にさらす、神像だけしか収容できない小さな寺が立ち、これはネワル人専用のようだ。鳥帽子を載せ、前合わせの白シャツの裾は背広の下にたらし、白い股引型のズボンをはいたネワル人の男達が忙しく立ち回っている。そしてうやうやしく祭礼の儀を催した後は、昨夜のミュージック・テンプルと同じ恍惚とした音楽を演奏している。それが男達の役だ。女達は、御供え物を並べた後は、ただ静かに座り、男の祈る波動を受けている。たぶん昨夜は、男の肉体から発する熱い炎にもだえたのだろう。今は男の声から流れる浄化の水に洗われている。カトマンズ盆地の先住民、ネワール人は、山岳民族グルカ人に征服されたままである。その抑圧に耐えるためにも、信仰は大切な生きがいとなっているように見える。

 小さな寺の背景には、森の緑、足元には敷きつめられた石畳、その中央にはまぶしいばかりの白塗りのストゥパと金箔の塔。脇の寺も金と原色、という固く華やかな空間に、チベット人とネワール人が祈り、唄い、念仏を唱え続ける。反対の東側には、垂直に切り取られた断崖。その上には、真っ青に染まった極上の空が舞い上がっている。

 天には、白い光線が走っていた。清流のきらめきに似た、透明に屈折して絡み合う白い光の流れが、背を思いきり後ろにそらして見える高さより、滴り落ちていた。

 大地の頂点を覆うヒマラヤの氷壁が、朝の陽射しを受けて光っているのだった。俺はそのきらめきをむさぼり吸った。

 ソエンブナートの頂上、標高およそ1000メートル弱。ヒマラヤ連峰は8000メートルを越え、しかも、あまりにも近くに直立している。その7000メートルの標高差に、何の特徴もない山壁がそそり立っているのに気がついた。無色無臭半透明としか言いようのない存在である。ヒマラヤは、カシミールからネパールを経てビルマとタイの北部まで連なっている、とてつもなく大きく、不毛な山脈だ。その高さと幅は俺にとっては、想像を絶する怪物のような存在に見える。土地人にとっても困難の象徴なのだと思う。でもその頂上にきらめく氷壁は、過酷な夏でさえ水を注ぎ続ける。土地人は連なる山頂のきらめきを(神々の座)と敬う。それは命の源でもあるのだ。

 ストゥパの周囲から外れる者がいる。行く先は、東の断崖脇に建つチベット仏教・ラマ教の寺院、ゴンパである。俺は神殿や寺や教会やモスクの内部には入らない。信者の祈りを妨げたくないという、不信心者の礼儀である。また、日本の学校生活や職場体験からして、あらゆる組織的な団体は洗脳によって成り立っている、としか思えないからだ。通り過ぎるか、庭で休むか、ベランダか巡礼宿で一夜を明かすかに留まっている。

 事実、ラマ教は政教一致の宗教である。清の時代には、皇室御用の宗教として絶大な権力を中国全体に及ぼしていた。清帝国は民族別に組織された三つの軍隊、中国を占領した満州人、同じ辺境の遊牧民の蒙古人、そして中国本土出身の漢人の軍隊の絶妙なバランスの上に260年間治安を維持してきた。その内の蒙古人は既にチベット仏教に教化されていたから、彼らを慰撫するためにチベット仏教は大いに役立ったという。中華人民共和国がチベット仏教を弾圧するのも、辺境人を団結させて、巨大な政治結社が出現する事態を恐れているからだ。そして今や、世界最大の政治結社、中国共産党党主、毛沢東の創作した文化大革命の嵐が、チベットにも吹き荒れている。ラマ教寺院もその神具も情け容赦なく破壊され、ラマ僧は弾圧されている。だが、俺がインドとネパールで出会ったチベット人には、避難民だと言うのに打ちひしがれた表情は見られなかった。彼らの精神はどのようにして鍛えられているのだろうか?

 ラマ教のゴンパは賢い鳥の作った巣のように見える。天敵からも雨風からも安全な断崖の凹みに建っている。その上賢い鳥が世界中を飛びまくり運んできた神聖な枝や草を組み合わせたらこうなる、と想わせるような紋様で飾られている。しかも中からは、胎盤の中で聞いたみたいに響く声明や音楽、胎盤の中で嗅いだみたいな匂いが漏れてくる。俺は広場の隅に点在する小さなストゥパを背として、日だまりに座り続けた。至福の波動がゴンパから伝わってくる。

 
 あのままの状態でただ満ち足りていたら、ソエンブナートの思い出だけを心に抱いたまま、次なる目的地ゴアに行ってただろう。ここのハシッシをゴアにたむろし始めたという噂のバカンス旅行者に売りさばき、ハンモックに揺られては、アラビア海に沈む真っ赤な夕日と刻々と色を変える夕焼け雲を眺めて、新たな至福の時に浸っていただろう。

 しかし、俺には、高揚するとその状態を記録しようとする癖が身に染み着いていた。
 こんな旅に入ったイスタンブールの屋上でさえ、他の旅人は、食って吸って座って歩いて寝るだけだったのに、俺は、昼はパチパチ写真を撮り、夜ともなると母屋から届く乏しい明かりの下でメモをとっていたのだった。クエートでまったくの文無しとなっても、カメラを売りに出さず、血を売って運び屋用の商品を買い込む始末だ。インドでその腕時計を売って余裕ができたら、真っ先に、ポーランド製の白黒フィルムを買った。
 
 そんな自分を、常に疑っている。(つまり、出来事の内側に入れないという苛立ちが、俺を肝心な時に忙しくさせてやがるんだ)と。

 旅仲間からも「あらゆる映像、あらゆる文字に記録されたことは、欺瞞なんだ」とか「お前、警察の手先か」とまでけなされた。それでも彼らは現代人だ。映像の時代に育っている。

「勝手にしろ」と放っておかれることも多く、「お前の記録写真を決して死蔵しないというのなら、俺を撮っても構わない。俺達の旅のムーブメントを歴史として紹介するのなら」と理解を示す者もいた。相棒のヨーもそのひとりだった。(旅を知らない人ともシェアーしたい)というのも真底俺の願いだったから「必ず出版するか写真展を開くよ」と俺は答えた。だから、撮影済のフィルムが一定量貯まると、現地の写真屋で現像し、見られる写真は名刺サイズにコピーして日本に送り、いざ荷が盗まれても、最少限の記録は生き残るように手配しておいたのだ。食費もおぼつかない条件下で。

 ただ、土地人を撮るのは心が痛む。魂を吸い取られると怖れて怒る者、武器ではないかと驚く者がいる。特に女性や宗教関係にはタブーが多い。だから、なんとなく手に持ったりバッグの影に隠して、適当なタイミングを見はかり、シャッターを切るだけだった。

 俺の中の、光学レンズをした眼と、俺の指が押したときにだけ開く心を持った、もうひとりの俺が囁く。(これぞシャングリラ。俺が遠路はるばる来たのも、これを撮るためだった)と。

 もうそうなったら、手はさり気なくバッグからカメラを取り出している。プラプラ歩き隠し撮りをし始めている。さっき、あれほど陶酔してこの場に飲みこまれていたというのに、後で撮影するぞ、というロケハンのプログラムも並行していたらしい。そのささやかな事件は、撮るべきシーンをひとつずつ押さえて歩き廻った後に起こったのだ。

 一本のフィルムを撮り終え、(広場はこのぐらいにして、次は山腹にするか)とフィルムの交換をした時だった。広場の巡礼に見られないように、隅の小さなストゥパの陰にしゃがみ込み、撮影済のフィルムをストゥパの台に載せ、新しいフィルムを装填していた俺の頭上を、影のようなものが走った。

 ハッとして顔をあげると、目の前に置いた撮影済のフィルムがない。見廻したら、俺の目の隅に一匹の猿が、広場を囲む低い壁の先に茂る森へと飛び去る姿がチラリと写った。

 (あの猿としか思えない。でも、なぜ猿がフィルムなんかを?)
 この広場でもチベット人の巡礼が少しずつ用意した豆を蒔き養っているのを見た。その食い様を観察すると、最初にボス猿が悠々と食う。その間他の猿は近づくこともできない。人間社会を見せつけられてるみたいな上下関係がある。チベット人もそのことを知っているから、場所を変えて他の猿を養う。だから、ほとんどの猿は満足顔で、しごく大人しい。写真フィルムを餌と間違えて引ったくるまで切羽つまってはいないはずだ。
(もし猿の仕業でないとしたら。まさか、トラポートじゃないだろうな)

 フィルムはどうでもいい。ただ、突然にそれが消えたことが理解できない。その内に、自分が実際に撮影し、フィルムを交換したかどうかまで疑り始めた。
(もしかしたら、俺は、なにかをやったつもりでいるだけじゃないのか。アル中やヘロイン中毒者みたいに、幻覚を現実と思い込み)

 広場の隅に立つ、俺の背の3倍ほどのストゥパの廻りで妄想が駆け巡る。いつも鏡みたいな役をしてくれる年長の相棒ヨーはいない。気を落ちつけるためのハシッシも、仏教聖地を訪れるというので宿に置いてきた。

 そして最後の頼みの、写真撮影して自己の存在を確認するという手段がなくなった。自分自身がまったく当てにならない存在となったのだ。もう何も無い。

 この山に入ってから、異常に感情が浮き沈みする。普段、うまく隠しおおせていたものが、露わに外気にさらされて、ヒリヒリと反応する。自分の情けなさに、なす術もなく打ちひしがれている。生まれてこの方、体験できたことは、妄想ばかりだったと。我ながら、見事と言ってもいい落ち込みようだった。わが一生の虚しさに、涙が止めどなくこぼれ落ちてくる。

(泣くだけ泣くが良い。これまでの24年間は、今日泣くためにあったのだ)
そう、優しく誰かが諭しているみたいだった。とたんに声をたてて泣いた。あたりに構わず大声をたてて泣き続けた。チベット人の巡礼が大きなストゥパの廻りから外れて、俺に近づいてきた。数人が背後から俺を覆う様に見下ろしている。そのぶ厚い影とヤクのバターの浸みついた体臭。優しい、暖かい、そして冷静だ。

 俺は(何でもないんだ。ただ判ったんだ。何も判っていなかったというのが判った。で嬉しさもこめて泣いているんだ)といった表情を、涙でツルツルの顔に浮かべて上を見た。彼らは(そうかい、良かったね)とでも言うように大きくうなずき立ち去った。その行為を、数組と繰り返すと、誰も来なくなった。

 涙は、洪水の収まる時のように、徐々に引いた。広場の皆が、俺の状態を見守ってくれているようだった。決してひとりだけを極端に走らせて、気の触れるようにはさせない気の塊のようなものが、広場を覆っていた。俺もその一部になりつつあった。透明な思いやりとでも言おうか、ひとりの運命を見ながら、そこに他の皆と共通するものを見る、爽やかな気の塊だ。

 そのまま、小さなストゥパを前として座り込んでいた。ゴンパの声明も伴奏も終わった。金の屋根を持つ小さな寺の前のネワール人達は、御詠歌のライブを終えて、ゆったりと飯を食っている。チベット人達も、数カ所で車座となって、中国製らしいデザインのプリントされたテルモスからバター茶を木製のお椀に注いでいる。ハッタイ粉をそこでこねて丸めては口にほうばっている。皆がホッとする昼休みだ。

 その時を待っていたかのように奴が現れた。猿の消えた広場の外壁を悠々と乗り越えて、俺の方向に歩いてきた。強烈な陽射しの下を、闇の塊のような影となって。間違いなく、それは、山腹の途中の踊り場で俺をキリキリ舞いさせた人物に違いなかった。ゆらめき近づく全身が(お互い同士、お馴染みの仲だろう)と伝えている。

 俺にとっても、当然のような再会だった。会ったばかりだったから懐かしくもない。朝霧の中で寝転んでいた俺を観察していた人物、猿の群を、見事に繰り攻撃させた人物、「ハッ」という掛け声と共に猿を引き上げさせた人物、カラカラと笑った人物がひとつの肉体となって、俺の視界にその黒い存在を増してくる。

 近づくにつれて、影のように見えるのは、全身にまぶされた垢と煤であることに気がついた。それに、身長は俺の半分ほど、年齢も半分以下の子供だ。最初俺と等身大に見えたのは、たぶん俺の倍の速さで成長しているみたいな生命力に圧倒されたからだろう。

 他には誰も彼の出現に気づいていない、あるいは、気づかないフリをしている。これは、俺と彼だけの出逢いなのだ。(俺にはなにもない。なにも判っていない。だから、人生御縁次第というか、人任せでやりくりするのさ)

 ふて腐っているのではない。自分の体験不足、実力不足に気づいた者は、あらゆる出逢いを受けて成長の糧をするより他はない。つまりオープン・ポリシー。空っぽの人間がとり得る唯一のコミュニケーションの方法だ。

  少年は、石畳に座った俺の前に止まった。目の前に一本一本が独立して行動できるみたいな太い素足の指と、厚い甲に浮きあがった傷跡が走っている。向こうずねも石柱並の強さの上に、裏のふくらはぎの筋肉がほぼまん丸い固まりとなってはみ出ている。激しい登り降りを繰り返さざるを得ない山岳民族特有の脚だ。

 彼は俺の前に座り込んだ。その顔を見る。目が明るい。唇は赤っぽい。よほどの期間、身体を洗っていないのだろう。垢が何層にも肌にへばりつき、一部は剥げ落ちて黒のまだら模様を作っている。どうやら地肌は白い。顔立ちといい、チベット系であることが判別できた。

 細長い全身にこもるのは、人間と猿の汗と垢のブレンドに、生の木の油質分と青い葉をまぶしたのを、土と植物の滓、それらを一緒に煤でこね合わせた野性的な特級香水みたいな匂いだ。

 元はカーキ色していただろう半袖半ズボンの上下服は汚れ切って黒ずんでいる。はだけた半袖シャツから覗く胸。その鳩尾がへこんでいる。俺の世代の日本人とドイツ人は、戦中に生まれ終戦直後の食糧事情悪い時期に育ったために、胸の陥没がある。彼の場合は逆算すると、チベット暴動後の避難民ラッシュの期間に生まれ育ったからかも知れない。とすると10才にも届かないはずである。

 他に目についたのは、ほころびを繕った跡が服のあちこちにあることだ。目新しいパッチも当てられている。女が、時折彼の世話を見ているのだろう。仕事が丁寧だ。

(まだ観察してるのか)と悪戯っぽい笑みを浮かべた少年を見ていたら、彼にまつわる話を思い出した。

 (そいつを、モンキー・テンプルの小僧って俺達は呼ぶ。滅多に姿を見ることはないが、猿が悪さをする時には、必ずあたりに出没している。猿の親分かもしれない。しゃくに障る小僧だけど、笑顔が特別なんだよ)

 どこかで小耳にはさんだのか、ミスター・ビートニクの講話の一端かは憶えていないが、目の前の少年が(モンキー・テンプルの小僧)であるということは確かだ。そして俺もその笑顔に感染していたのだった。

 深刻な問題は起こりようもない笑顔。毎日は面白く、賢くなるという笑顔。(泣いた烏がもう笑った)と冷やかされて笑い返す幼児の笑顔。(君子豹変する)時にチラリと見せる笑顔。その小僧の笑顔がコロコロと変わる。期待もしない、責任もとらない笑顔、自分も気分良いし、まわりもそうなってしまう笑顔。笑い転げるだけで生きていられた人類絶頂期を思い出させる笑顔。エスキモーの笑顔。蒙古症の子供たちの笑顔。(笑う門には福来たる)の笑顔。

 だから、小僧が長く引き締まった手をゆっくりと差し出して、手話を切り出してきたのを、当然のように受けた。つまり、

(お前がなくした物は、森の中の猿の巣にある。金をくれたら、俺がとってきてやろう)という申し出だ。

 ポケットのコインを全部つかんで、目の前に広げた彼の掌の、ぶ厚い皮の上にジャランと落とした。

 掌が閉じる。と同時に、彼の姿はもう無い。空に飛び上がったまま消え去ったみたいだ。多分ジャンプし続けたのだろう。次に彼の背が一瞬広場の縁の低い壁に着地したのを見た。再び、飛んだ彼に焦点を合わせる間もなかった。その姿は、森の緑に吸い込まれて消えていた。そして、あたりは再び静まりかえった。

 待っている。ただ待つという時を過ごしている。適度に陽光を吸って温まった石畳の肌が、尻に心地よいのを感じるだけで、待っている。

 待つ相手は、別にモンキー・テンプルの小僧でなくとも構わない。時の流れに身を任せていれば、いつか何かの兆しが顕れるだろう、という程度の待ちだ。止まっている、と言ってもいい。色々と起伏があったけれど、落ち着くところに収まった。自分からはなにもしないで、ただ待つ。他力本願の乞食のように何もプログラムせずに待つ。

 たぶん乞食というのは、かくも自由なものなのだろう。いずれ夜が来る。そしたら眠る。運が良ければそれまでに、誰かが一切れの食い物を目の前に落としてくれるかも知れない。そうでなかったら、当然空腹を抱えて寝る。夜が明けたらヨロヨロと歩いて、朝一番の縁起をかつぐ信心深い人物にでも手の平を差し出すだけだ。偶然の兆(きざし)だけにコミットする生。その延長の死。そう思うだけで俺に静かな笑いが生まれてきた。

 昼休みが終わったようだった。広場に動きが始まった。ストゥパの廻りのマニ車がガラガラと音をたてた。(オンマニペメフン)の呟きも、からまりあって廻っている。ラマ僧の赤茶けた衣が数点プラプラと歩き回っている。食後の腹ごなしも兼ねているのだろう。のどかな流れである。

 座ったままの俺の前に、モンキー・テンプルの小僧が、午後の暇つぶしに歩くひとりみたいとなって差しかかった。その手にフィルムがある。俺はそれを受け取った。彼はさり気ない表情のまま立ち去った。まるで、乞食に施しをする余裕しゃくしゃくの大人のようなふりをして。

 俺に大きな笑いが咲いた。やられっ放しなのに気分はすこぶる良い。

(メモランダム1966 2 モンキーテンプルの小僧  完)
 

      













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