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4月30(金)

4月30(金)

 遅くに起床。空は晴れ渡り、外出すると暑い。半袖にTシャツ姿もチラホラする激変ぶり。昼飯をインド人街、ハリーカリーで例の唯一発見した安くて味もあるマトンカレーをたっぷり摂った。午後2時半きっかりにバスでリバーサイド・チャーチに到着した。ハドソン川沿いの公園に面した入口の階段には、NPO関係らしきリラックスしたファッション姿が10数人。中の大ホールの壁側には机がグルリと並べられ受付の準備中。

 それぞれの机の上に、アルファベットのAからZまで札が並んでいる。受付の名前のイニシャルだろうと察して、Sの机に問いただした。「受付は3時半となりました」とのことで、ホールの椅子に座った。巨体の黒人セキュリティが、入口脇で目を光らせている。ベトナム反戦、公民権運動以来、数々の市民運動のメッカとして使われてきた教会だから、セキュリティは堂に入っていて、大ホールの各所にトランシーバー片手とした黒人の若い男女が黒服に白シャツ姿をして立っている。

 韓国人日本人の団体が時間を守る民族らしく、7~80人固まりたむろしている他は、あちこちで話に夢中な白人運動家たちだけだ。黒人も先住民もメキシコ系の運動家は、ここでもゼロ。と、隅のテーブルにアボロジニーらしい短身を横に張り出した褐色系の座る姿が目についた。

 そこで互いに受け付けが始まる前までは暇なんだからと隣の椅子に座り込み「あなたオーストラリアのアボリジニー?」と聞いた。「いや、父は黒人、母はフィリッピン人だ」「見たところ、東アジア人以外の有色人は貴方だけだ。何をきっかけに反核の平和運動に参加したの?」「ずっとこの運動はしてきたんだ。住んでる南部の街近くには、かつての原爆実験場もあるしね。そしたらここのオーガナイザーに呼ばれた」ということだった。

 ウォークにも一人だけ黒人が参加していたが、黒一点でも貴重な存在だ。そこに白人オーガナイザーの一人が小柄で人の良さそうな笑顔の日本人老人を連れてきて紹介した。同じFORの日本支部長だという。「こういうNPOの集まりというのは時間通りには進まないのが良いんだ」と悠々としている。「FORのメンバーということは、キリスト教徒ですか?」「戦争には兵隊として引っ張られるしかなかったから、戦後これじゃいかん、とキリスト教になった」とのことだ。今回は個人として昨日着き、数日だけの滞在。「時差ボケしてませんか?」と聞くと「元々ボケてるから」と、軽妙な対話ぶり。辺りの日本人は原水協が動員したという1.500人の一部のようだ。団体行動に徹している。でも横目で僕たちを、どうせ個人の風来坊だろうというように眺めている。でも、僕と老人は冗談を飛ばしあって笑い続けた。暗い話題に満ちた暗い教会の大ホールでは、笑う事でしか救われない。

 僕としては組織力のある労組団体には脱帽するしかないのだが、民主党のスポンサーであり、原発推進派の労組、連合に、原水協関連の共産党系労組は及ばない。結局は、いかに一般人が目覚め意志表示をするかが、今、問われていると思っている。これは団体というより、ひとりひとりの命がかかっているのだ。そして、原爆と原発を切り離す事はできない。同じ仕組み、同じ危機、同じ放射性廃棄物の問題を抱えているからだ。反原発の全国大会に労組の旗が次々とひらめくようになっているのは、頼もしい限りだ。

 教会内は暗く厳かでソワソワとしてきた。外に出るとハドソン川沿いの緑地にヨーロッパ系の人達が小グループに分かれてくつろいでいた。フランス語が目立つ。国連NPT会議に向けてフランスでは大きなデモが計画されているとのことだ。核兵器を持ち、日本を少し上回る原発を持つ国の運動には勇気づけられる。ポツンとベンチに座っていたスペイン人は、「スペインは数年前にアメリカ軍基地を撤去させたけど、ドイツ、イタリア、日本は敗戦国だから難しいだろうな。アメリカも犠牲を払って占領した土地を簡単には手放さないだろう。日本とアメリカ政府間の核密約については聞いてるよ」と同情した。まったく、戦争に負けるとは判っている戦争をやるより、隠忍自重をして、平和外交を貫くべきだったのだ。産業革命の後発組なのだから、石橋湛山の主張したように、中小産業商業国家として、アジアの共存指標となる機会もあったはずなのに、国家予算の4割が軍事費となるまで軍官僚がのさばり、文部省と新聞も戦意をあおるのみ。遂には軍事費7割。1億総玉砕しか道は残されていなかった。

 今や経済界は武器輸出による好況を目指し、政界は平和憲法を変えようとしている。首相自ら原発のトップ・セールスに飛ぶという事態。これまでのツケは放射性廃棄物の蓄積ばかりではなく、国民的なウツ症状、ボケ症状に象徴されている。そして、最も問題なのが、自分の仕事、自分の家族、自分の家、自分の所有する物だけに限定した、カゴの中をクルクル回るだけのオタク症状。国民ひとりひとりだけではなく、国自体が世界との関わりにオタクをしているのだ。この根っこには、日本が密集した山と複雑な海岸線を持ち、南北に延びる島国である、という自然条件がある。

 産業革命、世界貿易、情報革命の国際帝国主義が押し寄せる前までは、そのカゴの枠内で各地方とこの大陸の果ての島に次々と流れ込んだ各民族の多様性を保ちながら、ひとつの国として充実していた。それは1万年間に及び、平和的生態的共存をしてきた縄文時代の蓄積があったからだろう。彼等は島、湾、谷、南北の温度差と高度差の単位に分かれながらも、その内側の豊かさをより過ごし易くするように里山化して、互いの縄張りを侵す事なく、生態系を破壊する事なく共存してきた。彼等の遺骨には、武器によって損傷した痕跡がない。そこに、農業革命を弥生人が持ち込んだ。富の蓄積、分業化、組織化された民族が定着、小規模な堀と城壁、神殿、灌漑施設を持つ小国を造った。その上に乗り込み、居座ったのが、大陸からの騎馬民族。

 平安貴族国家、鎌倉時代以降の武士による中央集権的な連邦国家に発展。極めつきが徳川時代だったと思う。外からの影響は、朝鮮半島からの侵入者、そして中国の諸制度、技術、文化に限定され、唯一の危機はモンゴル来襲だったが、からくも海によって守られてきた。その逆に、大陸から押し出されたという避難民の恨念と、一般的に温暖で水と森に恵まれながらも、火山、地震、台風という破壊的な天災に怖れおののかざるを得ない、自然条件に突き動かされて、朝鮮半島を2度侵略している。

 一回目は日本で支配層にのし上がった騎馬民族が本家の百済(くだら)支援のためだったし、秀吉の朝鮮征伐は、戦後報償の少なかった武士への領土分配と、あわよくば、当時の中国、明の富の稼特を狙った。その歴史のマグマは再び明治維新後の日清、日露、日中戦争で噴出した。

 日本の封建制度、階級制、縄文人やアイヌ民族搾取を別とすれば、円潤した古き良き鎖国を破ったのはアメリカであることは明らかだ。1861年から65年にかけての北部産業、南部綿花栽培の対立、南北戦争の戦死者は、第一次大戦の約5倍。第二次大戦の約2倍の多きに渡ったが、北部勝利による工業化は、1880年代に入ると世界一の工業国家となるまでに発展した。イギリスがインド、南アフリカ、マレーシア、中国、フランスがインドシナ、中国の植民地化に追われている間に、アメリカはスペインを破り、キューバ、プエルトリコ等のカリブ海と、ハワイ、グアム、フィリッピン併合へと乗り出し、日本、特に沖縄を大陸への橋頭堡(きょうとうほ)として重要視した。フロンティアはアメリカ西海岸から東シナ海への進出を果たしたのである。

 蒸気船は太平洋を湖とした。ペリー提督の率いる1000叟の黒船が沖縄から浦賀、そして江戸の眼前に現れると、幕府は開国を余儀なくされた。既に大国 清の海軍が阿片戦争で壊滅したことを知っていたこともある。自主関税権のない、通商条約と開港、自主裁判権のない租界という中国と同じ屈辱的な立場に薩摩、長州を核とした地方武士は憤激、尊王攘夷を唱えたが、英仏艦隊による下関砲台の占領より一転し、開国、富国強兵の明治時代を創出した。

 もっとも、あれは単なる名目で、その2藩は密貿易を通じて西洋の実力を熟知していたし、最新兵器もしこたま仕入れ、海外留学も積極的に推進していたのである。そして、帝国主義の後発組となり、アジアを侵略した。だが、長い歴史の流れから見ると、日清日露、日中戦争は、ロシアの南下阻止と、中国の台頭阻止を企むヨーロッパ、アメリカ勢力のお先棒を担いだとも言える。

 日中戦争は予想外に強力な中国人の愛国心に泥沼化、やけっぱちに真珠湾の罠にはまったという第二次大戦の推移が、その結果を証明している。アメリカによる占領と平和憲法の制定は、当時進出著しかった共産主義と、旧日本軍勢力との結託を防ぐためであった。尊守防衛の自衛隊は、朝鮮戦争やベトナム戦争のように、在日米軍がアジア各方面の戦場に出撃した折の後方基地の守備部隊、兵器輸出入や修理、兵員補給と休養のための兵站基地としてのみ役立つ。同じ戦場で戦う友軍としては信頼していないようだ。

 頑固で情緒的、天皇の下に一体となる部族性、合理性や論理の通用しない異質な日本民族を、いかに自らの利益に沿うように利用するかという長期的な戦略は実現した。その中には、原爆投下、原発を密集させる戦略も含まれていたと僕は思う。もちろん、東京とハノイの丁度中間地点あたりにある沖縄基地は、アジア戦略の要となる。更には、原子力空母ジョージ・ワシントンの横須賀母港化は、遂に核兵器と原発が東京湾にすえつけられたということだ。プラス、座間への米軍第一司令部移転である。

 原発建設をアメリカが持ちかけた時に、あわよくば原爆を作れる、少なくともその素材を発電の副産物として生産し蓄積しておけば、潜在的な核大国となれるとほくそ笑んだ旧日本軍の将校であった権力者の顔が浮かぶ。中曽根康弘。メディア扇動者正力松太郎。そして官僚界と産業界からの闇取り引きブローカー達。彼等は日本が地震大国であり、原発震災が起こりえる確率の高い事を知っていたに違いない。勿論そんな大地には放射性廃棄物を処分できない事も知っていた。いつか国民と国土が史上最悪の毒に汚染され、民族消滅の奈落に落ちる事も。

 彼等はそんなことに心を痛めはしない。国体護持の名目の下に軍官僚制度のみを守り、その中で自分が栄達することのみを夢見るだけが、人生の目的なのである。だから、敗戦直前に旧満州に入植した一般人60万人を置き去りとして、産軍官僚だけが逃亡した。結果は入植者の集団自決、一般兵士10万人のシベリア抑留である。最早敗戦しかないという時点となっても、まだやるだけやってないじゃないかという天皇の裁断をたてにとり、カミカゼ特攻隊レイテ沖海戦、沖縄戦、東京をはじめとする各都市空襲、そして広島、長崎原爆投下まで突き進み、終戦の仲介を依頼していたソ連参戦、旧満州進撃を知り、ようやく無条件降伏に応じたという、異常な権力への執着ぶりと、国民の命の軽視、というより無視。冷酷非情とは彼等の事だ。前大戦中の一般人の命は、その間に最も多く失われたのである。大日本帝国の遺伝子が、日本人の命運を未だに握っている。

 そんな軍部の系列を継ぐ人物を政治家に当選させ続け、大新聞社の社主とし、官僚と産業界の大物として押し上げてきた日本人一般大衆のお人好しぶり。終戦後日本占領軍総司令官に就任したマッカーサー元帥が形容した、日本人の精神年齢は7才である、という幼稚さ。大和時代より刻まれた、お上にお任せ、上意下達、見ざる聞かざる言わざるの遺伝子。それが自分自身の命と資産、自分自身の人生努力、家族、恋人、友人、地元社会と地域の生態系、しいては国民と国土。海洋、大気。その広がりに存在する世界と地球。そのすべての存在と、精神世界が、一握りの支配者により分断されて操られるままに、全面的な崩壊現象に巻き込まれている。

 ひとりひとりが目覚め、事実を直視してつながり、サバイバルするための行動を起こさなければ、史上最悪の猛毒が津波となって襲う。すべては無に帰するのである。デモの一員でも座り込みの一員でもピースウォークの一員でも、選挙の一票でも、何でも非暴力に徹した行動を起こすことでしか、この津波は防げない。

 日本人のウツとボケと自殺と過労死とオタクのシンドロームは、自身の命と生活がいつの間にかその津波のメカニズムに組み込まれているからではないのか。ひとりひとりの命、野性は、その危機を感じとっている。子供達の表情を見るが良い。人間的家族的愛情に育まれた子供は、正直に危機感を表している。その一方で病院出産、乳児保育、テレビ漬け核家族、ジャンク・フード、カギッ子の結果、泣き笑いも忘れ、まったく無感動化した幼い人類。押さえ込まれた野性を病的に、絶望的に爆発させるかもしれない、という闇を凝縮させながら増殖している。

 アメリカが日本に「原子力平和利用」を推進させたのは、政治、経済、軍事、文化の全域に渡って利にかなったものだった。前述したように、1955年のビキニ環礁水爆実験に被爆した第五福竜丸事件は、広島、長崎原爆の悲惨な思い出を再燃させ、僕も小学生ながら雨に濡れない、海の魚は食べない、という体験から、人間の運命のはかないことを思い知らされた。日本政府の調査船は放射能汚染された魚群が沖縄から日本沿岸に移動していることを報告した。

 日本の成人のほとんどの6000万人以上、全世界で6億人以上が、核廃絶に署名。その核兵器反対の勢いを、平和利用に転換するため、原発推進は格好の機会となった。日米安保条約は1960年に改定されようとしていた。それはアジアに於けるアメリカの権威と反共の主軸であった。当然、米軍基地に持ち込まれているはずの核兵器も、平和な核の印象に隠蔽できる。更に、アメリカ人勤労者の少なくとも10人に1人は直接的間接的に従軍していると言われる軍事産業の一部、原子力産業は、新たな市場を開拓できる。同時に、日本が巨大な電力源を持てば、その分工業生産は上昇、結果として製品輸出も伸び、貿易黒字増加。その余剰資金はアメリカの国債購買に充てられる。

 朝鮮戦争に次ぐベトナム戦争はくすぶり始めていた。その戦費と、必死に働く労働者、研究者、経営者を持つ日本への工業移転による国内産業空洞化、すなわち福祉予算は補われる。そして、予期不可能、非合理的な戦争に突っ走る日本の海岸線に立ち並ぶ原発は、軍事的な弱点となる。平和憲法、日米安保条約に在日米軍基地、海岸線の原発群。日本の軍事的爆発は、3重に封印された。おかげで日本は65年間に渡る平和とそこそこの繁栄を享受できた。その間地震の周期が沈静期にあたっていたことも、また、テロリストに狙われるような加害行為を他国に仕掛けなかったことも幸いした。

 僕は戦中生まれだが、人生のほとんどをこの奇跡的に生まれた平和な時代に育つことができた。この好運に感謝している。と同時に、どのようにこの平和を享受できたかを解明して、次の世代がより安定し、せいせいとした平和な時代に育つよう、残りの人生を捧げなければ罰が当たる。自らの死の瞬間に、悔いと不安と虚しさに襲われるに違いない。だから今回NPT(核不拡散条約)国連会議に向けたNPO主催のワークショップでは北東アジアの核問題を3回に渡って受けるよう申し込んでいる。

 午後6時半に公園からリバーサイド・チャーチに戻り、ワークショップの受付をする。それから4~500人ほどの聴衆に埋まった講堂で、NPO会議開始の基調演説を聞く。その内容は、翌日の夕方のものも含めて正確を期す必要のある公の声明であるために、1.500人の組員を送り込んだ

原水協
http://www.antiatom.org/
や、

全労連、ピースボート、

日本反核法律家協会
http://www.hankaku-j.org/

広島反核兵器連合
http://www.e-hanwa.org/

のホームページを検索していただきたい。僕は、次々と出演する大人物たちの印象を記すにとどめたい。

 まず、ズラリ壇上に居並ぶ顔には、東洋系が半数ほど占め、次にアラブ系、そして南米系、ロシア人も含む白人系という率となっている。多分主催者側が、NPO会議に大挙して参加した日本人と韓国人、そして常のごとく平和運動には加わらない黒人、アラブ人、中南米人に配慮して組み合わせた顔ぶれのようだ。そして、アフガン人も含むイスラム教徒は、目下NPTにとっての懸案であるイランの核武装問題があり、イラクとアフガニスタンで進行中の戦争、イスラエルとパレスチナの問題、インドとパキスタンの核ミサイル対決も背景にあると思われる。

 韓国人の多いのは、勿論北朝鮮の核武装。日本人は会員一人当たり2000円の寄付を募り、1.500人の代表を送り込み、600万人の署名を持ち込んだ原水協への配慮と、唯一の被爆国である立場から出席した広島市長や被爆者への配慮に基づいているのだろう。と同時に、ロシア、中国、北朝鮮、アメリカという核兵器を戦略に組み込んでいる国々のど真ん中で、国内に核兵器を配備した米軍基地をかかえながらも反核運動を続けている韓国と日本の市民団体に期待しているとも言える。

 まずリバーサイド・チャーチ大司教の歓迎演説。彼は長身に長いあごひげを生やした黒人だ。医者をしていた時、心を癒さなければと宗教を目指した。次は長崎で被爆した家族5人を亡くした東北大学の田中さん。地獄を見たというのに平和である。3
番はナバホ族のウラニウム採掘地区の女性環境活動家ナディネさん。先住民の叫びである。次はアメリカのムスリム平和運動家イビラヒム。マーチン・ルーサー・キングの言葉を引用する。そしてアメリカ人とスウェーデン人の平和組織代表者。と、直接核被害を受けた民族を優先した。

 基調演説の終了した午後9時頃に、リバーサイド・チャーチを出て、名前のように広いブロードウェイの広い歩道を南へとプラプラ歩いた。その先に、ワークショップのひとつが開かれるコロンビア大学があった。古典的ヨーロッパ風の門を入ると、構内はだだっ広く、ローマ時代の神殿型の議会場を想わせる広い階段つきの建築物がそびえている。学生達がそこに座って休んでいた。マンハッタンという島の中の都市にも、これだけの空間を持つ大学と、横断するだけでも疲れるセントラル・パークがある。アメリカは広い。その広さがこの国を影響していると思った。互いの距離が空き過ぎているという孤独。だから常に互いが移動し交流できるように、の交通、通信の洪水。そして大雑把に素早く片付けようとする戦争。

 帰りはコロンビア大学に近い地下鉄駅にもぐり、けだるい夜の列車で下町のアパートに帰還。今日、ウォーカーはレスト・デイのはずである。電話によると、40名ほどにふくれ上がっている。明日はワシントンブリッジで、ボストンからの東コース、テネシーからの南コースのウォーカーと合流した後に、リバーサイド・チャーチには正午到着。僕もそこで再会する。


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