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大間「あさこはうす」の2日間 2010年7月24日~25日


 本州最北端の下北半島。オノの形をした半島。
 そのヤイバの先端「大間町」。
 函館行きのフェリー港からなんとか歩いても行ける「大間原発建設現場」。
 その炉心予定地点から250メートル離れただけの「あさこはうす」。
 家は簡素な一人住まいの木造に過ぎないが、敷地は1万2千平米有るという。
 

 
7月24日、天気予報では雨、前日も豪雨だったのに見事に晴れている。大地からムンムンと草木が盛り上がる。
 「エッ!この道どこに行くの?」入口には小さな「MAGROCK」と書かれただけの小さな看板のみだった。その先に1車線の砂利道。両側は背の倍はある金網フェンス。道はくねり海岸方面に下っていく。と、前面に、骨ばかりとなった恐竜の首みたいなクレーンが乱立し、あっちこっちに首を振っている。
 
 「オイオイ、これこそ現場に来なきゃ判んねえってことだよな」と気仙沼から同行したモンに言うと「あの一番高い赤白のマダラ塗られたのが炉心用のクレーンだ。重機は皆、すぐ下の海辺に原発専用に作られた港に揚がる。フルモックス燃料も六ヶ所村から海路直行ってことさ」と冷静に答えた。舞台で唄う時は、宇宙から降り立った縄文人みたいなうねり凄まじいのを見せつけるのに、普段はまったくクールのままだ。彼曰く「東北人は知的ですから」。
 
 3年ほど前彼ひとりで気仙沼から六ヶ所村まで歩き始めたのをブログで知った。八戸の若者たちが歓迎パーティをやるとき僕も合流し、翌日共に歩いた。反対パーティは風雨厳しい日だった。八戸郊外の公園から室内施設に移って祭は続けられたが、200人ほど地元の若者たちばかりが集まった。その一部はサーファーで、荒れ狂う眼下の海を見下ろしながら、頃合い良い波押し寄せるや、サーフボード抱えて高台から駆け下りてたっけ。東北人はタフでもある。
 
でも何故に知的でタフな東北人が下北半島を核施設ばかりで埋め尽くすのを許したのだろう?今日八戸から北上する途中にも、まず三沢米軍自衛隊基地。それから巨大な核施設が次々と並ぶ六ヶ所村。その最大なのは、正に天命降りて止まったままだけど予断は許されぬ、一日に365基の原発が廃棄するのと同じ量の放射能を空と海にまき散らす再処理工場。そしてウラン濃縮工場、低レベル核廃棄物埋設センター、高レベル核廃棄物貯蔵施設、MOX(モックス)燃料加工工場。更に国際核融合実験炉関連施設も計画中。そのお蔭で、青森県下の一人あたりの市町村所得は、六ヶ所村がトップで1,520万円(本年3月31日東奥新聞)。

更に太平洋岸沿いに北上したオノの形した下北半島のその柄の半ばあたり。東通(ひがしどうり)原発1基は既に2005年より稼働しており、2号基も計画中。これは東北電力が六ヶ所村核センターに送電するものだが、なんと、はるか離れた東京電力も1号基2号基を計画中で、敷地造成工事も始まっている。長い送電線による放電ロスもさることながら、その敷地直下には、たくさんの断層が存在していると言われている。

津軽海峡に突き当たると西北西に海沿いの道を行く。そこには「むつ市使用済核燃料中間貯蔵施設」。65年間5,000トンを冷やし続ける巨大な倉庫は、むつ市の赤字解消のため市長が誘致した。むつ港はかって原子力船むつの母港として使われたが、その計画は失敗。当然の結末だったろう。アメリカが日本の原子力潜水艦を許しっこない。今はその廃炉を科学技術館に展示している。勿論それからは低線量の放射線が出ている。むつ市は核施設受け入れで2,000億円の交付金を受け、市の病院、漁協等は60億円の寄付を東京電力と日本原電から貰っている。そしてここ、大間町。細い道沿いには「大間マグロ」の看板連ねた小さな店が並ぶ。もうその裏は住宅街だ。

これほど居住区に近い原発は初めてだろう。しかもプルトニウムとウラン燃料を100%使うFULLMOXタイプ。これも世界で初めての本格採用だ。この燃料は原子炉を劣化させ易く、事故が起こったら史上最悪の猛毒プルトニウムの拡散だ。(MOX燃料は既に玄海、伊方、浜岡原発等で使用されることとなったが、それは核燃料の10%)

建設中の大間原発のど真ん中へと細道は下りて行く。フェンスが両側に立つ未舗装道路は約1キロメートル続く。クレーンが増々巨大にそそり立ってくる。突き当たりに木造半2階の「あさこはうす」が、ちっぽけな風車と共に立っていた。20人ほどの若いスタッフらしきがテントを張ったり屋台を組み立てている。明日は「第3回大間原発反対現地集会」。本日2010年7月14日は前夜祭のライブ演奏。そのMAGROCK祭を企画したヤムのポリシーは「楽しくやらなきゃ運動続けられない」。

確かに人生苦もありや楽もある。そして、宇宙は陰陽の関わりで成り立っている。どっちかに傾き過ぎたら転倒だ。MAGROCKはここで3回目を迎える。すさまじい会場を選んだものだ。初参加の僕はあっけにとられている。準備中のスタッフに、ケンゴ、ノブが例のごとく愛犬ポチといたのを見つけた。1990年代を通じて彼らは埼玉県高麗の河原で「ひょーこま」のキャンプインを続け、時には3ヶ月間も若者たちが集った。当時は立川市近くの河原にも「サンタマリア」の若者たちが住み続け、そこからバイトやらストリートミュージックに出かけたりしていた。

そんなワイルドな時代から、浜岡原発反対集会や高江米軍ペリパッド反対等の運動へと移行。ケンゴは秩父「てのひら祭り」そして今年の9月には、東京明治公園で2003年9.11事件より続いている平和集会「BE-IN」を主催するとのこと。現場での再会は常に励まされる。特に次の世代の成長ぶりを見た時は。
そして、運動の現場で最も励まされるのは、現地で粘り強く運動を続けている人たちの姿だ。

30年間、次々と周りが推進派の情宣と金と脅しに染まってダンマリを決めて行く中で、反対し続けるのは確かな価値観を持っている人でなければ無理である。この町にも数人は居る。落ち着いた年配者はその人達だろう。静かな郷土愛、静かな正義感、その眼は静かに透徹している。僕達が戦争と高度経済成長バブル崩壊に失ったのは何であったのか?を気づかせてくれる。それはどんな高僧に会うよりも、人生の指標となってくれる人達だ。僕の為に、僕は運動の現場に行く。

いつの間にか68歳となった。僕が青春と壮年時代のほとんどを過ごしたユーラシア伝統社会で知り合った同世代の土地人は既にこの世を去った。日本に来てからつきあった年長の知人も次々と亡くなって行く。その一人ひとりが生き様死に様の手本となってくれた。そして気づいたことがある。「お見事」と感心した人は3つの知恵を育んでいた。「自然観」「死生観」「歴史観」。その3点セットが充実している一人の老人の存在に魅せられた。堂々とした気を漂わせる体躯、細やかな観察眼、息長いタイムスパン。「信念」を感じさせる70歳代半ばの人だ。2日間に渡って二言三言交わし、翌日の反対集会で彼が同町農業委員佐藤亮一さん(74歳)とわかった。以下対話と集会での発言を要約したものである。

「何故に大間の人は原発の金を必要としたのでしょうか?」
「34年前(1974年大間町商工会が町議会に原発環境調査を依頼)に原発計画が持ち込まれた時は、全員反対でした。大間は黒潮と親潮が交わる豊かな海を前面として出稼ぎをしなくとも食っていけたのです。大間マグロは、築地魚市場で最高値で買われるし、なによりも質の良い海草類が沢山とれましたから。ここのモズクはぬめりがあって旨いので有名です。でもマグロ漁は一本釣りですから漁師の腕に差が出てきます。その一人ひとり一本釣りされて崩されたり、海流が変化し、海水温も0.7度上がったことにより以前より海草が少なくなったこともある。都市の2次3次産業は高度成長、そしてバブル経済1987年に国中が酔いしれました。金の魔力です。子ども達も都会に集団就職。原発立地が決定されたのはそんな1986年のことでした。

今、表立って反対しているのは3名ほどですが、心の中で反対している人は結構居るんです。でも村八分にあったり、仕事にも差し支えるまで電力会社の圧力は強いんですね」と、かなりひどい差別を受けて来ただろうに、常に淡々としている。言葉数は少ないが、意味は深い。

VEGANカレー、天然エビのゆでたもの、大間マグロ、ビールなどの屋台の一群。イカ飯の屋台を切り盛りしていた明るくふくよかな中年女性とも2日間言葉を交わした。「あさこはうす」1万2千平米を守った熊谷あさこさんの娘さんの小笠原厚子さん(55歳)だった。隣に高校生くらいの厚子さんの娘、つまりあさこさんのお孫さんが甲斐甲斐しく手伝っている。

「私はここを離れていました。母はあれほど電力会社の圧力を受けているなんてこと、まったく言いませんでした。私に迷惑がかかることを恐れていたんでしょうね。炉心部分の土地を持っていたので金積み上げて落とそうとしたらしい。母を攻略するための専任社員が自動車の中で縛られていて、手付金を強盗に襲われた事件があったのですが、その額は8000万円でした。警察が縛られる方がおかしいので追求し、事件はその社員の自作自演の狂言強盗だったことが判りました。母は、大間の海は魚の海だ。この海がある限り食わせて貰える、と当然のことを言って突っぱねていたのです。お次は村八分です。それまで言葉を交わしていた人達が見向きもしなくなった。母と口をきく人は仕事を取り上げられるからです。それが一番つらかったようです。脅しもあった。屈強な男2人が、母が農作業している所にずっと張り付いているのです。炉心予定地には共有地もあったのですが、母はその売却も拒みました。共有地の場合、全員の合意が必要です。しかし、偽の印鑑を押して売却しようとした事件もありました。

上関原発建設でも同じ事が行われ裁判で翻されたそうです。結局電力会社は2003年ここの用地買収を諦めて、炉心をここから250メートル離れた所に設計を変更、2008年に原子炉設置許可されるや建設を始めました。母はその用地買収を諦めた2003年に亡くなりました。それまで、精神的な重圧のためかティックの症状だけはありましたが、元気溌剌としていたのに突然。死因はつつが虫病。土の中に住む虫で、昔からつつが無いということわざの元となっている、死に至る毒虫です。この土地での発病は40年ぶり。つつが虫の侵入口が母の首に見つかったそうです」。

そして、熊谷厚子さんは力強く言った。「私も娘もこの土地を守り続けます」と。


24日の午後から夜まで「MAGROCK」のライブ演奏が続いた。総勢70名の親密な祭だ。電源はすべて、山形天童市の「ソーラーワールド」武内さんが持ち込んだ太陽光発電。彼は家族ぐるみで参加した。5時間に渡るライブは青森の「Mat Arrow T8 Shock」、東京から「木霊」、札幌の「サッポロッカショ琉球アーカイブ」、埼玉のケンゴ一家「相乗効果」、宮城唐桑半島からの「熊谷もん」。僕も突然頼まれて「アメリカNPTに向けての平和行進」報告をした。参加者は圧倒的に若者が多かった。中には社会党から立候補したことのある若い女性とそのグループも居た。多くが初参加。このフェンスに囲まれた「解放地」に驚いていた。そして、「ライブがなかったら来なかったかも」と言う。8000人集まった1988年の「いのちの祭り」以来、人形峠のウラニューム鉱山問題「大山」「六ヶ所村」浜岡原発近くの「デンマーク牧場」と核に関わる祭の流れが各地で様々に根強く続いている。

夜クレーンは止まる。ライブも終わった。明日は記者会見やアピールの日だ。僕は木の間にハンモックを吊って横になった。しめやかな縄文時代が甦る。5000年前は地球の気温は人類史上最高だったという。東北は縄文人の中心だった。だから青森県には巨大な三内丸山遺跡がある。僕は、1991年に、六ヶ所村に巨大な縄文遺跡が発見された、との報に現場に行った時を思い出した。建設中の道路を歩いた先の小高い丘で、青森県教育委員会の人達が発掘作業をしていた。その大きな丘一面に遺跡の穴が広がっていた。「これだけの規模、しかも何層にも積み重なっているからには、交易と原始的な農業もあったからでしょう」と調査員が言った。鹿などの野生動物ばかりではなく、淡水と海洋性の貝や魚、鯨の骨まで縄文グルメ食の跡が発掘された。

だが、その遺跡は二日後に、港から再処理工場に直行する道路建設のため埋められるところだった。あの時の絶望感がぶり返し、寝つかれなかった。翌朝厚子さんが「昨夜、うちの敷地を流れる小さな小川で、7.8匹のかわいらしいホタルを初めて発見しました」と言った。それでようやく僕の気持ちも晴れて来た。
 
 
 
7月25日 まぶしいばかりの晴天。


朝から続々と車に乗ったりフェリー港から歩いて来た人達が着いた。その数60名。昨日の若者と合わせると総勢130名となる。

「あさこはうすの敷地を一周しませんか?」の呼ぶ声に乗った。あさこはうす背後の丘を登る。クレーンと港が全望されてくる。1万2千平米というのはサッカーグラウンドを想わせる広さがある。その周りは勿論フェンスに囲まれている。中腹あたりから刺のある灌木が行く手を阻んだ。仕方なく右手の沢へと折れて下ると、そこは森。あたりのすさまじい建設現場も忘れるほどひっそりとしている。

会場に戻ると記者会見。大間から20キロメートル離れた函館の市民グループ「大間原発訴訟の会」代表竹田とし子さんが堂々と論じていた。運動会用テントの下では、ケニアから成田、その足で新幹線最終に乗り、夜中の3時に到着したという高尾山トンネルに反対する「虔十の会(けんじゅうのかい)」代表の坂田さんが、アフリカの匂いプンプンとさせた勢いで報告をした。遂に立ち上がった世界の女性を主軸とする運動の流れを感じさせるエネルギーだ。

「ケニアの首都ナイロビには、世界最大のスラム、100万人は住んでいると言われるキメラスラムがあります。森林が消滅し、川も濁り、農業ができなくなり都市に流れ込んだ人達です。日本の風土と違い、乾いたケニアでは森林は一度破壊されると蘇生しないのです。でも子ども達はすごく元気。10月に名古屋で開かれる生物多様性条約会議COP10のことを子ども達も知っていました。そして何でも修理して再利用していました。マサイ族は、一般に昔ながらの生活を送っています。ヤギを一頭屠って歓迎してくれたのですが、血の一滴も無駄にしません。そして人によって食べる部分が違います。長老には心臓。皆長身でスタイルが良い。太っている人は一人もいません。若者は10年間村を出てサバンナに戦士として暮らします。その間に牛泥棒をする。マサイにとっては、世界中の牛はマサイのものです。その時の闘争で、2,3人死者が出てから、警察が出てきます。

戦士の卒業試験は槍でライオンを狩る事。それも寝ているのも、後ろから狩るのも駄目。正面から対決しなければならない。そしてようやく長老となります。マサイにとって、あらゆる生き物は関わり合った大切な存在です。人間もその一環にある。例えば、エンチョソロイという鳥は蜂の子を食べるのですが、マサイはその鳴き声に案内されて蜂蜜を得るのです。マサイの家は牛糞で壁を作るので、蚤が一杯いる。でもマサイは子どもの頃より薬草を食べているのでまったく蚤に食われません。だから、生物連鎖の中で何かひとつでも失われることは、大変なこととなります。

今、マサイの伝統にとって義務教育が問題となっています。2割の子どもが学校に行く。でもそんな子ども達にも「ケニアはどうあるべきなの?」と聞くと「ここだよ!」と答える。すごい充足感を持っている。

地球上では、3000万種の生き物がお互いに支え合い、人間もそのつながりの一部です。でも現在、一日に200種、7分に1種が絶滅しています。標高600メートル弱の高尾山だけでも1300種があり、それはイギリス全体にある種の数より多い。生物多様性は、人間の文化にも多様性があることを意味しています。日本の森は、フィンランドの国土の70%に次ぐ68%。でも、その7割は人工林です。戦後復興のため植えられましたが、外材の輸入で放っておかれ荒れています。今日本の自然は蘇生するかどうかのギリギリに追いつめられています。

2010年10月、名古屋市で「生物多様性条約10回締約国会議」略して「COP10」が開催されます。私たち「生物多様性条約市民ネットワーク」略して「CBD市民ネット」も数々の催しを通じて地球規模の課題解決に向けた合理的提言と情報発信をします。国は本音を話しませんから、まず自分で出来る5つの自分条約を提言しています。

1)旬の食材、地域で生産された食物
2)楽しい自然体験、山登り、動植物園、公園でも地域の生態系を実感する。
3)自然現象のクリエーターとなる。絵や写真、日記や俳句などで記録し表現する。
4)さまざまな自然体験の活動に参加し、生き物同士、人の暮らしと自然、過去・現在・未来のつながり「きずな」の実感です。

名古屋では、10月16日17日に名古屋森林公園で、ブラジルのクララさんを中心とした先住民13名のグランママ円卓会議。それは本会議場でも。21日には、どう解決するかを国際会議場近くで。その脇の堀川では、葦舟で世界を旅したジンさんと葦舟を作り、祝島で上関原発阻止しているカヤック隊と堀川を航海します。浄光寺にキャンプ場をケンゴさんを主として運営するので是非来て下さい。

詳しい日程は
www.cbdnet.jp
です。

昼前から2時間ほど大間原発反対現地集会が開かれた。青森市、運動体二つ、広島市で上関原発反対する団体、函館市の団体二つ、宮城、札幌、大間町の団体の代表が次々とアピールをした。

新たに判ったことは、大間原発の訴訟が4件進行中。活断層が大間町沖に存在すると専門家が指摘。周囲の海水より7度高い温排水が毎秒91トン放出される影響。20キロメートルほど離れている函館市には2010年2月まで大間原発について説明されなかったこと。その時に、万が一、事故が発生しても函館市民には被曝被害がないと説明されたこと。詳しくは以下のホームページを参照してください。

PEACELAND http://peaceland.jp
地球とともに http://chikyutomo.greenwebs.net/
Mat Arrow T8 Shock http://myspace.com/mattarrowt8shock
吉田ケンゴ  http://kengoma.net
ラビラビ  http://www.rabirabi.com/
ソーラーワールド  http://solar-world.jp/
サッポロッカショ  http://sapporokkasho.blog.greenwebs.net/
動画  http://chikyutomo.greenwebs.net/?p=1179


なお、小笠原厚子さんは「この場所をこどもが集まる場所にしたい」と言っている。今回はソーラーワールド武内さんの子ども2人が参加。帰宅してから「マグロック最高!」と言っていたという。

僕には、年金生活者らしい年配者が数人参加したことが印象に残った。かつてヨーロッパでチェルノブイリ事故にあった後、反核反原発、オーストラリアで日本企業に破壊されている原生林保護運動、そして今年の国連NPT会議に向けたピースウォークとニューヨークのワークショップでも年配者が時には2割に達していた。社会や技術ノウハウがあり、人間的にも成熟、時間と金にも余裕の出て来た年配者が、自分の孫だけが生き残れる訳はないと、次の世代全体の運命に思いをはせて、運動の現場に現れ協力する流れが、日本でも始まっているようだ。

核の時代、生態系破壊の時代、大戦争の時代は、僕達の親と僕達の世代が作り加速させた。その負のツケが少しでも払えたらと願っている。

(本文中の数値は東奥新聞、反対団体提供資料、MAGROCK発行の第三回大間原発反対集会報告書より)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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