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田ノ浦大攻防3日間の後で(4)

3月3日(木曜日)
田ノ浦の工事は止まったままである。ハッパをかけるズシンの爆発音もなく、台船の影もない。警備員も常駐のみ。だが、中国電力社員の構えるカメラは、浜の人間を撮りまくっている。浜でテントを張っている青年たちは、朝起きてテントを開けると、待ち構えたカメラに撮影されるという。明らかにスラップ(SLAPP;Strategic Lawsuit Against Public Participation;住民参加に対抗する戦略的訴訟の略)のための証拠固めだ。

天木直人さんという、ただ一人イラク戦争に反対した大使(当時レバノン大使)は、外務省を辞めさせられたが、その後イラク戦争は憲法違反であると全国に原告を募った裁判の原告として、名古屋高裁で実質勝訴、それを確定することに貢献。現在はメールマガジンで、連日日本の外交問題を中心に著述活動をしており、山口地裁が2月21日埋立工事妨害者に一人一日500万円という法外な罰金を課すという仮処分判決、スラップ訴訟についてこう論じている。
(一回目の一部抜粋)

「これを強者による弱者イジメと呼ばずしてなんというのだろう。欧米では、およそこのような権力側の訴訟権の濫用は厳しく抑止されていると聞く。訴える中国電力も、この訴訟を裁く裁判官も、いずれも国家権力の内側にある大企業であり官僚だ。菅民主党政権は、自ら招いた政局に翻弄される余り、権力を使って弱者をいじめる官僚を放置せざるを得ないのだ。

スラップ訴訟は上関原発訴訟だけではない。弱者いじめはスラップ訴訟だけに限らない。しかし、このような弱者いじめの数々は、決して大手メディアで大きく取り上げられることはない。大手メディアもまた、権力側にいるからだ。」

田ノ浦ではスラップ脅しに危機感をもった市民が次々と訪れてくる。個人だけではなく、一昨日は金沢からの団体、車のナンバーには秋田からのもあった。団結小屋(正式には<集いの家>)の若者達は、海上監視のカヤック隊の他には、アルバイト出張や全国への宣伝班に分かれた。

海岸のキャンプ隊も少人数である。このあたり、その時に必要な事を各人が判断してやる、でも全体のバランスは絶対にとられているという方式が、小康状態でも貫かれている。

カヤック隊最年長、60才代半ばの愛媛県人は、まだ居続けている。長年国内外で内装工事の親方をやり続け、最近退職したが、とたんに腰が不自由となり、ツエをつかなければ歩けなくなった。だが、田ノ浦を訪れた時「これは俺が子供の頃に遊んだ愛媛の海と同じだ。瀬戸内海にこれほどきれいな海が残っていたのか!」と感動、ここを守る事を決意した。

かつてスリランカで仕事をしていた時、チェルノブイリ原発事故に汚染された粉ミルクが、シンガポール経由で偽のラベルを貼られて大量に輸入されそうなことを、現地のNPOに聞き、それを科学的に検査するための費用を自腹を切って提供したこともある。結果は放射能が検出され、輸入は止められた。多くの赤ん坊が救われた。

60代半ば、しかも腰をやられているというのに、彼は田ノ浦の若者からカヤックを習い始めた。とたんに奇跡が起こり始め、腰が治ったのだ。今はツエなしとなってカヤックを繰り、若者と共に阻止行動に海上を漕ぎまくっている。僕より数才年下なだけだなんて信じられない敏捷な動きだ。団塊の世代恐るべし。

彼は言った。「阻止行動をすると、中国電力や海上保安庁が、リーダーは誰ですか?と聞いてくる。俺達はリーダーなんて居ないし要らない。皆が個人で同じ目的のためにやってるだけだと答える。彼ら上意下達のピラミッド型。俺達は歳も身分も関係のないアミーバー型だ。ひとりひとりが違っていても生活と運動を仲良くシェアーして喧嘩などは起こったことがない。これは俺達の世代が内ゲバでつぶれていったり、嫌気がさして止めたのとはまったく違う運動だ。本来そうあるべき人間関係。生物間の関係と言っていい。だから田ノ浦は絶対守れる。」

これは田ノ浦という生態系に満ちた海に生まれた運動なのだろう。
彼が白い髭をなびかせ海上を行く姿は見ているだけで壮快だ。初心者というのに、まだ引っ繰り返ったことはないそうである。先輩の若者が親切丁寧に指導してくれたという。

今僕は、老人パワーが若者の運動と関わったら、大きな展開が起こるのではないか、と思っている。かつて社会を激動させた団塊の世代が大挙して退職する時代となっている。彼らはその人口の多いこともあって元気なままである。近年ネパールに行くと、ヒマラヤのトレッキングに、退職した団塊世代が目立つようになったという。このように様々な趣味や田舎生活に第二の人生を生きる人がいる。長いお勤めの後、羽をのばすのも良いだろう。まずは個としての人間解放だ。

文化の発信をしてこの町独特の魅力を印象づけなくてはならない。その企画と実行力が問われている。先月、明治13年に再建された武家屋敷で催された音楽会は、その一歩を踏み出し、近隣町からも含めて70人が集った。

韓国との交流を活発として、江戸時代の参勤交代に訪れ、ここに長く滞在した朝鮮通信使の行列を復活する祭を開いたらどうだろうかと、僕は提案したい。それは1000年ほど続いた祝島の有名な神舞(かんまい)と共に、上関町の名物となるだろう。韓国人の観光客や長期滞在者も視野に入る。

遊休施設の最大のものは、旧熊毛南校分校である。現在は廃校となっているが、コンクリート製のしっかりとした普通の高校の大きさで、広い校庭と体育館もある。江戸時代海の関所を守っていた番屋のある高台に並設されており、海を見晴らせる。これなどは、合宿やリトリート用にどうだろうか。教室にマットかベッドを置くだけで、そのまま活用できる。その他にも、退職者が移住や長期滞在をすれば、その人が長年つちかった職業のノウハウを生かして、新たな産業を育成できるだろう。

既に祝島にはUターンした人が放置された畑の復活をも果たす豚の放牧を棚田でしたり、若者も二組が移住しそれぞれレストランを開いている。人口の多い上関・室津地区にもUターンやIターンする人の流れが始まれば、原発推進派と反対派の間に深まった溝も徐々に埋められるだろう。

上関町の気候も夏の最高気温は26度と温暖である。冬の最低気温は6度。海辺だから風の強い日は厳しいが、それが止むやとたんに冬でも春のようにポカポカとなる。そして小さな島が点在する瀬戸内海、その間をひんぱんに行き来する船。海流が複雑だから、海面は場所によって波立っていたり、静まっていたり、見飽きることがない。古代神道の神話世界の入り込んだようだ。

特に祝島は日常生活にも神話が生きづいている。
ただひとつの集落は、防風のために両手幅ほどの狭い道が入り組み、道の両側の民家は災焼を防ぐためのぶ厚い石塀に覆われている。そのひとつひとつが異なった石を組み合わせているから個性的な印象を与える。先日、原発反対派を主に受け入れている民宿「くにひろ」の国弘さんが、歩いて案内してくれた。裏の小学校から登る道は途中から舗装道路をはずれたが、棚田の石垣は続く。
かつては、米も完全自給していたとのことだ。山頂近くには、三世代かかって積み上げた巨大な棚田が今も使われ、三代目の老人が訪れる者を歓迎してくれる。

ほとんどは 雑木に蔦が絡んでいるだけだが 時折 健康的に枝を伸ばした琵琶の果樹園が現れる。僕は4年ほど前に上関町の選挙ビラ配りをした時から、 この祝島の琵琶茶を愛飲している。 長年に渡る旅人の癖で、タバコと酒と肉の摂取を68歳となってもヘビーに続けているが、自然栽培の祝島琵琶茶はそれらの毒を洗い流してくれてるようだ。おかげで内蔵に関してはまだ支障なく、上手くしたらピンピンコロリできそうな気分となってきた。

その途中に行者堂に行く道が分かれ、雑木林のトンネルを登る内に、自然にトランス状態となった。役(えん)の行者が滞在したという行者堂はきれいに維持されていた。祝島の人達は、役の行者が守ってくれているから原発は絶対に建たないと信じている。

この上関原発反対運動の広がり様を見ると、そのような世界があるのかも知れない…と思い始めてきた。信仰とは新興宗教のような洗脳によるものではなく、先祖からの伝統と生活環境を受け継いできた所に在るものだと、この島に来る度に気づかされる。そして、その伝統は、原発建設を機として、リフレッシュしている。この島の人たちが、その信仰を守り、更にそれを受け継いで行く人たちが現れることは、心の行き所を失った多くの人にとって励みとなる。

僕もここを訪れる度に心が洗われ生きる勇気が湧いてくる。

       ~自家用車で来ない人の室津・上関・祝島への行き方~

広島に近いJR柳井港駅から徒歩5分の港より
9:30 15:30にフェリー出港、
所要時間 室津・上関30~40分 祝島1時間10分
尚、室津6:00に祝島行きフェリーが出ている。
帰りのフェリー最終便は、祝島17:00出港
室津・上関・柳井港行き
7:35から20:10まではほぼ毎時一本が出ている。
所要時間約1時間。

田ノ浦の行き方
6:30 11:00 13:30 16:10頃に室津・上関から
四代(しだい)行きが出ており、四代手前の田ノ浦入口で
バスの運転手に頼み下車させて貰う。
そこから歩いて20分~30分。
四代港からは歩いて40分から1時間。
田ノ浦入口には標識がないが、峠あたりに唯一右手に分かれる舗装道路があり
昼はアルソックの警備車が駐車していることが多い。

尚、田ノ浦の団結小屋集いの家は、カヤック隊のみが泊まることとなっており、
テントをその脇に張れる。食料持参のこと。そこから浜に下りる急な山道には、竹で頑丈な手すりが、山口県庁前ハンストをした若者のひとり、キンちゃんが築いてくれたので、僕のような足の悪い老人でも、安心して上り下りできる。ありがとう!

ハンスト隊のほとんどは、祝島と田ノ浦に留まり、海上と浜で活躍を続けている。 

追記;昨日揉み合いで気絶した祝島のおばあは まだショックで点滴治療中 腰をやられた青年は田ノ浦に戻ったが まだ青ざめたままだ 彼らが運ばれた病院は診断書を出さない 山口県医師会 特に上関近辺の病院は 原発推進の傾向が強いという なんたる原発ファッシズム
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